明治8(1875)年、一郎平は松方正義に招かれて内務省の土木部門で働くこととなり、安積疏水(福島県)、那須疏水(栃木県)、琵琶湖疏水(京都府)の工事にかかわりました。

安積疏水は、明治15(1882)年に開通し、水利が悪かった安積平野を肥沃な穀倉地帯に変えました。一郎平は政府の命を受け、東北の開墾地調査を行った段階からかかわり、測量、設計、工事監督に従事するなど、現在までの安積疏水の基礎を作り上げました。

那須疏水は、保水性が悪く、灌漑用水どころか飲料水にすら事欠いていた那須野ヶ原に開削されました。一郎平は総監督として指揮にあたり、約16キロにおよぶ本幹水路を5ヶ月で完成させました。

琵琶湖疏水は、明治維新による東京遷都により衰退していく京都の産業振興を図ろうと計画されました。一郎平は京都府の依頼により現地に赴いて、琵琶湖からどのように水を引いたらよいか、通水を始めると琵琶湖の水位がどの程度下がるかなどを調査しました。この調査結果をまとめた「琵琶湖水利意見書」「水利目論見表」をもとに工事が進められました。

このように一郎平は、三大疎水事業に大きな足跡を残しています。